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     住宅設計入門      マンションの完成まで    建築材料めぐり


■ 日常にかかわるコラム



    メールマガジンの掲載記事からの抜粋です。

     §1  和室の将来 (第007号:H.19.05.14掲載)
     §2  ものづくりの本質とは (第018号:H.19.08.08掲載)
     §3  自分にとって良い住宅とは (第020号:H.19.08.23掲載)
     §4  鍛錬を感じる空間 (第021号:H.19.08.30掲載)
     §5  子供の空間 (第025号:H.19.10.11掲載)
     §6  守られた空間 (第025号:H.19.12.27掲載)
     §7  日常の反映 (第043号:H.21.03.31掲載)
     §8  メディアの功罪 (第044号:H.21.04.30掲載)
     §9  人口が減るということ (第049号:H.21.12.30掲載)
     §10 勉強の出来る場所 (第051:H.22.08.02掲載)







  §1 和室の将来

最近のマンションは和室のない住戸が増えてきました。私が建築の仕事を始め
た頃は必ず一部屋は和室を設けるように施主から要望があったものですが、最
近は和室は不要と言われることが多くなりました。

和室がなくなることによって、床に座り込む生活が減り、椅子を使う生活に変
ります。日本人にとって、座の生活の大きな変化は革命的は出来事であるのに
モダンリビングの普及のという大きな波はそれを飲み込んでしまった観があり
ます。寝室は布団からベッドに変り、居間はコタツからテーブルやソファに変
ります。時折、昔の生活スタイルが見直されることは一時的にあるにせよ、長
いスパンで考えればこの傾向はこのまま続いていくと思われます。エアコンや
床暖房の普及やユニバーサルデザインの浸透などがこの傾向に拍車をかけてい
るような気もします。

今後、日本人の和室空間との関わりは日常的空間から非日常的空間に変ってく
るでしょう。今までは生活の中心にあった和室は、接待空間などの特別に使わ
れる空間へと認識が変ってくると思います。

ただそうは言っても、地方の新築戸建住宅は殆ど和室で構成されている住宅も
珍しくありません。和室には便利な機能が備わっています。例えば床で作業が
出来ることがあげられ、洗濯物を床に広げて折りたたんだりするにはとても便
利です。また座布団一つで席が出来、集会や冠婚葬祭行事に適応しています。
日常生活に深く溶け込んでいる部分もあり、和室が日常から消えるまでに相当
な年月が掛かるかも知れません。

和室中心の生活がなくなっても、日本人の生活から床に座る生活スタイルが消
えることはないような気がします。欧米のように家の中で靴を履く生活スタイ
ルにはならないのではないでしょうか。生まれた時から和室のない家で育った
子供は、自由に寝転べる畳にどの様な感情を抱くか聞いてみたい気がします。
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  §2 ものづくりの本質とは

8月1日に作詞家の阿久悠氏が亡くなり、昭和がまた遠くなった感じがしてとて
も寂しい気持ちになりました。「また逢う日まで」(尾崎紀世彦)、「どうに
もとまらない」(山本リンダ)、「先生」(森昌子)他、多くののヒット曲を
世に送り出しました。作詞曲のリストを見ても、歌詞を口ずさめる曲が殆どで
す。活躍された時期が自分の小学校から高校時代と重なります。当時毎日のよ
うにテレビのゴールデンタイムに歌謡番組が放送され、大衆の支持を集めるス
ターが沢山存在していました。

当時は、多くの人が同じものを見て感動していたように思います。今は価値観
が多様化していて本質が見えなくなって来てしまっているような気がします。
阿久さんはヒットを生み出すプロで、試行錯誤を重ね大衆に受け入れられるも
のを創り上げてました。その時代を上手く表現すると同時に新しい感動を創り
だしています。最近の歌番組やドラマを見ても、重要なことは既に決まってい
て、末端部分を少し変えて繰り返し使っているような印象があります。本質を
いじるより、テクニックでバリエーションを増やすほうが重要視されます。本
当に新しくそして人の心に届くようなものは無くなってきているのではないで
しょうか。今まで存在していなかったものがパット表れ、それが短期間で世の
中に浸透していくようなダイナミックな変化は感じられません。

当時の一般的な住宅デザインが必ずしも優れていたとは思いませんが、建築家
は新しく個性的なものに挑戦していました。こんな家に住めるかというような
住宅でも、結構楽しくその後30年近く使い続けているような住宅は数多くあり
ます。今は消費者優位の時代ですから、同じような住宅を創ったら損害賠償を
請求されるかも知れません。

問題が生じないプロセスを踏み、尚且つ目を引くデザインを提供するのに必要
な資質はスタイリスト的な能力だと思います。常識的なラインを維持しながら
素材や色の変化を組み合わせて美しくまとめ上げる能力です。マンションでも
設計自体は通常と殆ど変らないのにデザイナーが入ってきて外観を決めること
が行われています。購入者は、本質的には変っていないのに、上手くお化粧し
ている住宅をみて外観に惹かれて購入を決めます。(スタイリストが心地よさ
を提供していることは確かですが)

価値観の多様化は自分が何を求めているのか解からなくしてしまうようです。
本当は日常重視の価値観を持っていても、多くの誘惑に判断力を見失ってしま
う部分があると思います。もっと設計者や施工者、販売者と交わりを持って理
想を探る必要があるのではないでしょうか。

歌謡曲はヒットさせなければなりません。建築も使いやすく丈夫で美しくなけ
ればなりません。それには多くの工夫が必要ですが、一過性の工夫か、人の心
に直接繋がるような本質を捉えた工夫か判断する必要があると思います。世の
中にその意識が高まれば、「ものづくり」の世界が変って来るのではないでし
ょうか。                            戻る





  §3 自分にとって良い住宅とは

テレビで「お宅拝見」や「掘り出し物件情報」などの番組を見ていると、紹介
されている住宅が全ての人にとって価値の高い住宅であるような表現をしてい
ることが多いと思います。もちろん感心させられる作品も多いので参考なるこ
ともありますが、テレビを観ている側は、最強のメディアから発せられる情報
の圧倒的な説得力により、何の疑問も感じず受け入れてしまうことも少なくな
いと思います。ただ少しさめた目で見ると、本当にそれが自分にとって良い住
宅なのか多くの疑問を感じることがあります。

情報が氾濫する時代に、自分にとって理想的な住宅とはどんな住宅であるか試
行錯誤を続ける必要があると思います。多くの方は理想的な住宅を想像の中で
しか持っていなくて、なんとなく廻りが良いといっている住宅を理想にしてし
まう傾向があるような気がします。それが本人にとって気付かなかった理想を
探し当てたということなら問題は無いのですが、たとえば日常的にはシャワー
しか使っていない人が、開放感のある大きな浴室に一時的な憧れを持ってしま
い、実際に生活を始めてから持て余すというようなことは少なくないと思いま
す。

テレビの物件情報ではタレントが紹介していて、専門家は余り出てきません。
出て来たとしても紹介されている物件を悪く言う人はいないと思われます。常
に人目を引く話題を取り上げ、最大公約数的な情報を流していく傾向がありま
す。住宅の価値は多様で人それぞれ違います。実際に家を建てたり、購入した
りしようと検討されている方は少し厳しく番組を観てほしいと思います。重箱
の隅をつつき、揚げ足を取るぐらいの意識を持って丁度良いのではないでしょ
うか。それでもピンとくるものであればどこが気に入ったか記憶し、積重ねて
行けば具体像が出来上がってくると思います。

建築専門誌では多くの作品が紹介されていますが、それをたよりに実際に建築
を見に行くと写真の方が断然良くがっかりすることがあります。逆に細部まで
行き届いた設計にじかに触れて感動することもあります。雑誌を見ても涙が出
ることはありませんが、実際に見ると目頭が熱くなってしまう建築もありまし
た。メディア受けするかしないかは関係なく、その空間を体感することが大切
だと思います。

最近、赤い屋根の家を余り見かけません。昔は屋根を目立つ色で塗ることが多
かったと思います。それは住宅に対する嬉々とした思いを感じます。情報に左
右されず自分が良いと思ったものを大切にし、そこで生活をする喜びが表れて
いたような気がします。今の時代そんな素直な感情を呼び戻す必要があるので
はないでしょうか。                       戻る






  §4 鍛錬を感じる空間

今年も夏の高校野球が終わってしまいましが、大会を通じて日々の鍛錬の大切
さを教わりました。特に1点を争うゲームでのグラブトスによるスクイズ阻止、
ゲーム終盤におけるただ1球の失投を見逃さないホームラン、日々の努力によ
る鍛錬が無ければ出来なかったことだと思います。自分の子供の世代と言って
よい若い人から多くのことを教わりました。高校野球に限らず、スポーツを通
じて身近に鍛錬、熟練の技術に接することが出来ます。自分の生活に照らし合
わせ、多くの教訓を得る機会を与えてくれます。

私が育った家は在来工法の戸建住宅であったので、家の中にも鍛錬を重ねた技
術をみることが出来ました。柱、長押、鴨居、敷居、竿縁天井などを見ている
と、ノミやカンナの音が聞こえてくるような気がしたものです。建物に調子が
悪い部分があると職人が来て直してくれましたが、その作業を飽きずに一日中
見ているような子供でした。職人が直してくれて気持ちよく動くようになった
建具を滑らせ、自分が直したように悦に入っていたことを思い出します。

鉄筋コンクリートの住宅であっても、綺麗に打ちあがった打ち放しの壁や、キ
チッと並んでいるタイルなどに同じ感情を持つことが出来ます。ただ最近は住
宅も商品化の傾向が進み機能優先、経済優先で空間の中に鍛錬を感じることが
少なくなってしまったのは残念なことです。メリットもあることなので否定は
出来ませんが、何か生活の中に人の手を感じさせるものが必要な気がします。

工業化が進む中でも、家具には鍛錬された技術を感じることが出来るものがあ
ります。少し値段は高いですが、著名なデザイナーが創った家具は長い時間見
ていても飽きません。思い通りの形を実現させるには技術的にも優れていなく
てはならず、ディテールも感心させられます。工業デザインにも優れた作品が
多くなり、才能を持った人が労力を重ねた跡を感じさせる商品が増えてきたよ
うに感じます。ただこちらは一時的な収益アップの為に奇を衒ったものも少く
ないので、ロングランを続けている商品から気に入ったものを選ぶのが得策だ
と思います。

スポーツは日々感動を伝えてくれますが、家の中に存在する物もそこに住む人
に影響を与えているのではないでしょうか。生活空間の中に鍛錬された技術を
持ち込むことは、想像力を膨らませ、自分の生活を見直し律する機会を与えて
くれます。そして物に対する愛着や創る喜び、技術に対する敬意を育んでくれ
ると思います。家の中のスタープレーヤーを探して見ることをお勧めします。
                                
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  §5 子供の空間

10月からNHK連続テレビ小説「ちりとてちん」が始まりました。第一週は主人
公和田喜代美の少女時代の話でしたが、子供の素直な言動がどれほど大人の心
に響くか教えられる内容でした。詳しい説明は控えますが、人生経験豊かな大
人が発する気の利いた言葉よりも説得力があったと思います。

子供の生活は日常そのものだと思います。政治や経済に心が揺れるわけではな
く、自分の身の廻りの些細なことが生活に大きな影響を及ぼします。大人にな
ってから昔よく出入りした建物に入ると「こんなに狭かったかな」と感じるこ
とがあります。誰もがそれを相対的に自分の身体が大きくなったからだと解釈
しますが、それだけではなく大人になったせいで日常的な空間を感じ取る能力
が衰えてしまっていることも大きな要因だと思います。大人になり行動範囲は
広がりますが、日常的な空間は狭くなりそこから感じ取れるものも少なくなっ
てきているのではないでしょうか。

子供は家の中のどこでも自由に出入りし自然に振舞います。そこが親の仕事場
であっても兄弟の勉強部屋であっても台所であっても、時間帯が悪ければ怒ら
れることもあるかもしれませんが当たり前のように受け入れられ時間を過しま
す。大人になるに従ってこの日常的な空間がどんどん狭くなっていくような気
がします。子供は自由に空間を感じ、時間を感じる生活を送りながら大人より
も多くのことを日常から感じ取っているはずです。ただ言葉に残せないので本
人も回りの大人も気付かないのです。子供の頃に戻った気持ちになって自分の
生活を見つめ直したり、子供の行動に何かを感じ取ることは大切なことだと思
います。

今の住宅の多くは、社会的理想の中に生まれてきているような気がします。そ
こからは経済的、機能的、健康的、デザイン性といった人当たりの良い言葉が
思い浮かびますが、本当はもっと自分の生活を見つめ直し、自分の理想を見つ
け出さなければいけないのではないでしょうか。それには世評に浮かれること
なく、子供のように空間と日常を結びつける感覚が大切だと思います。

「ちりとてちん」の舞台である、喜代美の家(小浜の実家)は和室が連なる古
い家です。中庭があり風通しがよく奥行きが感じられる魅力的な家だと思いま
す。離れにおじいさんの塗箸の仕事場があります。ここで喜代美が少女時代に
濃い時間を過していたことを容易に想像できます。昔は家族一緒に暮らすこと
が最優先されていて、風通しも良いが人通しも良い住宅が当たり前のようにつ
くられていたのではないでしょうか。忘れ去られた多くのことを教えてくれる
家だと思います。                        戻る





  §6 守られた空間

マンションの設計を長い間していると、多くのクレームに出会います。最近は
工事自体の問題ではなく、隣の住戸の音が聴こえるとか給気口から入ってくる
風が冷たいといった個人的な感覚によるものが増えてきています。特に音に関
しては全く気にしない入居者もいれば、ごく僅かな音でも凄く気になる入居者
もいて対応に困ることがよくあります。

現在のマンションは音に関して相当神経質に設計時点から配慮しています。私
の感覚では住宅密集地域の戸建木造住宅で隣の住宅から聴こえて来る音よりも
静かな環境を提供していると思います。しかしそれでも周囲の音を完全に排除
することは不可能なので、大きな音がすれば聴こえてしまいます。マンション
は不特定の方が入居するので、音に対して神経質な方が入居すればクレームに
なるので、ディベロッパーはさらに工夫を重ねどんどん重装備になってゆきま
す。

この状況が続いて行くことによって、将来どのような住環境が得られるのでし
ょうか。私は究極的には日常に感動も教訓も生み出さない住環境をつくりだし
てしまいそうで心配しています。雨風の音も、隣の子供の泣き声も、完全に排
除してしまう「守られた空間」は何の彩もない生活を生み出してしまうのでは
ないでしょうか。また「守られた空間」に住む人々は外部に気を使わず好きな
ことが出来るようになり、そこで育った子供たちは周囲に気を使うことが出来
る大人に成長出来るかどうか疑問に感じます。

音について触れましたが暑さ寒さに関しても同じようなことが言えます。環境
問題が重視される中、省エネルギー住宅がもてはやされていて、複層ガラス
(エコガラス)や断熱性能が高い壁を用いた住宅は確かに環境にやさしく冷暖
房費の節約にもなると思いますが、窓を一年中閉ざしているような住環境が本
当に快適といえるのでしょうか。適度に寒いときは寒く、暑いときは暑く感じ
るような住環境が必ず必要になるときが来ると思います。外は厳しい気候なの
でせめて家の中は快適にと考えることは理解できますが、限度を過ぎれば人間
が本来持っている体調維持に関わる調整機能が衰え、変化の少ない環境は感情
の起伏を生じさせず正常な情緒を育むことが出来なくなるような気がします。

人は時間とお金を割いて非日常空間を求め高い山に登ったり、遠い場所に旅行
に行ったりして外的刺激を求めます。昔は身の回りにも刺激的なことがあった
のではないでしょうか。私も子供の頃、寒い部屋でコタツの中でからだを丸め
ながら窓の外の深々と降り積もる雪を眺めたり、布団の中で雷の轟音に震えて
いたことを思い出します。快適性を追求することは大切だと思いますが、度が
過ぎれば失うものもあります。生活空間を見直し、人が日常の中で適度な刺激
を受けられる設計手法が求められる時期に来ていると思います。
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  §7 日常の反映

私たちは日々の生活を保つために多くの雑用、忍耐を強いられていますが、そ
の手間をなくすように技術開発は進んで行きます。この技術と生活の結びつき
は大変強く、技術の変化によって日常の風景は大きく変わります。テレビがあ
る時代と無い時代、エアコンがある時代と無い時代、システムキッチンがある
時代と無い時代、アルミサッシがある時代と無い時代、比べてみれば誰でも当
たり前のように新しい生活を受け入れおり、技術の恩恵をありがたく思ってい
るのではないでしょうか。

世の中が便利になることによって、日常の中で一寸した光の動きや、風のざわ
めき、外から聞こえてくる子供の声などに心動かされる機会は減ってきている
のかも知れません。生活が健康的、衛生的になることは大切なことで、技術の
発展に水を差す気はありません。しかし日常生活に大きな変化の波が通り過ぎ
た現在、一様なデザイン傾向であることに危機感を感じます。最近の工業デザ
インの傾向を見てみるとシンプルでスタイリッシュなものが好まれる傾向にあ
ると思います。これは情報産業の発達により、心地よい配色やプロポーション
をシュミレーションできるようになったからです。以前であれば優れた感性を
持ったデザイナーが多くの時間をかけて創り上げてきたデザインがパターン認
識され、容易に使用できるようになりました。ただそこから生まれてきたデザ
インには生活感が感じられません。

建築のデザインに目を向ければ、シンプルモダンという言葉がもてはやされ、
どのハウスメーカーでも間違いの無いデザインをしています。設計事務所でも
人気のある事務所はシンプルモダンという言葉を掲げ設計をしています。どれ
も美しく機能的であると思います。しかし日常の煌きを享受したいと思えばも
う一段階苦しまなければいけないのでは無いでしょうか。通常のパターンから
逃れた部分を創り、そこに他愛もない日常を汲み取り生活に生命感を吹き込む
ようなデザインが必要だと思います。それでは全体のまとまりが無くなってし
まうという人も多いですが、力のあるデザイナーはうまくまとめてより魅力的
なものを創り上げてゆきます。

世に名を残す住宅建築はどちらかというと創意のまま全体をまとめ、その上で
形を整えることが多かったのように感じます。整った形から入る今の設計の傾
向とは逆のやり方かも知れません。「シンプルモダンな住宅」は施工性もよく
、工事費も安く、クレームも少ない優等生かも知れませんが、長い時間を過ご
してゆく内に物足りなさを感じるのではないでしょうか。
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  §8 メディアの功罪

建築家を目指している者は建築の専門誌をむさぼるように読む時期があり、掲
載される美しい写真や図面に感動し、憧れの建築家が書く文章に共感し自分も
いつか世の中に影響を与えられるような作品を創りたいと願います。そのこと
により努力や研鑽を重ね10年後20年後に立派な建築家になる者は必ず出てきま
す。更に専門誌に自分の作品が紹介されることにより、つまらないものは創る
事が出来ないという意識が芽生え、作品の質を上げることを常に考えるように
なります。

しかし最近の建築ジャーナリズムの傾向は専門から大衆に変化している傾向が
強く、世間体が良いもの、完成時に見栄えがするもの、話題性があるものが取
り上げられる傾向があります。私が学生の頃読んでいた建築専門誌は休刊、廃
刊が相次ぎ創り手が読む雑誌は少なくなっています。反面、家を持とうと考え
ている方の為の住宅誌やインテリア誌、デザインを紹介するファッション誌等
は増えてきています。敢て書かせていただけば永続性から一過性への転換、作
品主義、実質主義から商業主義への転換といえると思います。

商業主義に彩られたメディアは見ていて美しく、楽しいものです。それは夢の
ような将来を予感させます。建築家という一般大衆には解かり難い仕事を世に
広め、住宅や他の建築に多くの方が興味を持つ効果がありました。ただ得られ
る理解は本質からずれていることが多く、多くの誤解を生じていることは確か
だと思います。表面的な恰好よさを強調し、きちんとした批判を省略している
部分があります。

日常の生活の中には美しいものもあればそうでは無いものもあります。合理的
な部分もあれば非合理を受容しなければならないこともあります。それらを一
まとめにした器が住宅であるはずですから、人それぞれ理想は違うはずです。
何を大切にしたいか、何をありがたいと思うか、時間が経過してもその考えは
変らないかといったことを問い直す必要があると思います。また我々創り手も
仕事を得るために安易に大衆化に走らず、精神的な核がある生き生きとした建
物を創らなければなりません。

住宅を建てるにはとてもお金がかかります。洋服を買い換えるように気に入ら
なかったからといって取り替えることは難しいものです。(土地の値段が上が
れば可能かもしれませんが)住宅の窓の位置が少し違えば生活に影響を与える
はずです。自分の生活をしっかり見つめ、自分なりの価値観を見つけることが
大切ではないでしょうか。                    戻る




  §9 人口が減るということ

今年(平成21年)の住宅着工数が80万戸を割り込むことが決定的ということで
す。これは1964年以来、45年振りのことで建築業界の冷え込み具合を象徴して
います。住宅の着工数とその年に生まれた子供の数はかなり似ています。最近
では百十万から百二十万前後という数値が続いてきました。今年に限っては景
気の影響もあり住宅着工数が突出して低くなりましたが、住宅着工数も子供の
出生数もその時の経済状況に大きく影響を受けることは間違いなさそうです。

少子化が進み将来日本は大変なことになるといわれて久しいですが、一向に改
善される気配はありません。民主党は子供手当てを導入し、社会全体で子供を
育てる仕組みをつくろうとしていますが、個人的にはその理念自体正しいこと
なのかしっかりと議論すべきではないかと感じています。本当に人口が減るこ
とが悪いことなのか、そしてお金を支給することが出生率を高くし健全な子供
の成長に役に立つことに繋がるのか私は疑問に感じています。

私が子供の頃は人口が順調に増え続けている時期でしたので、このまま人口が
増え続けた場合、食料難や生活のためのエネルギー不足が生じると心配されて
いました。35年ほど前の人口に対する意識からすれば現在は願ったり叶ったり
の状況と言えるかも知れません。人が生活するための産業は合理化が進み、仕
事量を減らすことを可能にしています。不況下の現在、雇用が減り失業者があ
ふれている時代に子供を積極的につくろうとしないのは当然のことであり、そ
れを政治力で調整しようとするのはおかしいような気がします。ただしどうし
ても子供がほしい夫婦が子供をつくれないような社会的原因が有るとすれば、
それは政治の力で何とかしなければいけないと思います。

出生率低下に政治がここまで口を出すのは、来たるべき少子高齢化社会に対応
するために高齢者を支える若者を沢山生み出さなければならないという使命か
らだと思います。しかしこの問題を出生率の改善で解決しようとするのは今の
大人たちの独善だと思います。子供が増えてもその子供たちが大人になって仕
事に恵まれなくなったり、収入が激減したりりすれば大変な苦労を強いられま
す。それだったら、今からでも単純に年金の支払い額を増やした方が確実性が
あり公平だと思います。年金支払い額が増える代わりに、人口が減り満員電車
から開放され、緑豊かな公園(公共空間)が増え、1世帯あたりの住戸面積も
増え、雇用も確保されれば生活は豊かになります。その過程を経ればその後出
生率は自然に上がると思います。その結果、合計特殊出生率は理想値である
2.0に近付き、人口が安定したものになるようになるのではないでしょうか。
そして今現在の人口より少ない人口で落ち着くことは間違いないような気がし
ます。

しかし人口が減ることにより世の中が豊かになる保障はないわけで、また豊か
になったとしても自然に出生率が増える保障も無いわけですから、私が言って
いることこそ独善と批判を受けるかも知れません。経済状況に関係なく、家族
を築くことは人の根源的な幸福であるわけですから人口が減ってよいという意
見が否定されても仕方ありません。ただ少子高齢化社会に対する不安のみが強
調され、こういった議論が余り行われていないことに懸念を感じます。

子供手当てが支給されるようになれば家計に余裕が出来、住宅を新築したりリ
ホームしたりする人が増え建築業界にとっても朗報と言う声も聞かれますが、
私には将来のビジョンを感じることは出来ません。もっと長期的視野にたって
人口が減ったときに豊かで合理的に生活できるように都市環境、住環境を改善
する政策が必要だと思っています。
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     §10 勉強の出来る場所

先日、ラジオを聴いていたら速読のインストラクターが話をしていて「人が本
当に集中しているときは一つのことに固執せずに身の回り全体を受け入れてい
る状態である」という話をしていました。そして速読は一つ一つの字を目で追
いかけるのではなく、ページ全体を見た瞬間にそこに書いてある内容を把握す
るトレーニングを積むことにより習得できると言うことでした。また、このト
レーニングを積むことにより集中力が高まり、人の能力を最大限に引き出すこ
とができるという話をしていました。

このインストラクターにリスナーから「子供が勉強するのに適した場所はどこ
か」という質問が来てリビングルームと答えていました。子供は一人で部屋の
中で勉強するよりもいろいろないろいろな情報が飛び込んでくる中で勉強した
方が脳が活性化してよい結果をもたらすということでした。私は別のメディア
からの情報で、東大の合格者が子供の頃どこで勉強していたかというアンケー
ト結果でリビングルームが一番多いということを知っていました。

しかし、この結果はリビングルームで勉強する子供はご両親やご兄弟、ご姉妹
が一緒に勉強をして教えてくれる環境にあるご家庭に育った子供の成績がよい
と言うことだと私は理解していました。自惚れていると思われるかも知れませ
んが、多分私の考えの方が正しいと思います。廻りの大人がテレビをみて大笑
いしているそばで子供が勉強しても身につくとは思えません。インストラクタ
ーは速読の普及のためにこの結果を利用したような気がするし、そのときの思
いつきで言っただけかもしれません。ただ、一人部屋に籠もるよりも回りに人
が居た方が気持ちが高揚したり、安心感があったりするので結果的に集中力が
高まるということはあると思います。

子供に個室を与える時期に悩まれる方は多いと思います。住宅を設計するもの
としてアドバイスさせていただけば、空間よりも時間を重視し、室よりも場を
重視することだと思います。小さい時から個室を用意しても良いけれどなるべ
く家族でリビングで過ごす時間を増やすことが大切ではないでしょうか。独立
心が芽生えてくれば自然に自分の部屋に居る時間が増えていきます。また特定
の機能を持った室という考え方よりも家族が集まりやすいところが集う場所、
寛ぎやすいところが寛ぐ場所、勉強しやすいところが勉強する場所といった考
え方も大切だと思います。ここは何をする部屋と決め付けない方が良いのでは
ないでしょうか。

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